もし完璧な人間だったら
もし自分が完璧な人間であったら、と皆さんも一度は考えたことありますよね。
もし自分がなんでも完璧に出来てしまう人間だったら、努力をする前からなんでも完璧に出来てしまう人間だったら、きっと勝ち負けの勝負にもこだわらず、適当にやってもそれなりにいい結果が手に入ってしまう。
勉強なんか頑張らなくても、いい結果が残せてしまって先生には簡単に気に入られる。
そう考えた時、自分は完璧じゃないほうがいいのかなと考える。
完璧でいることは素晴らしいし、誰もが一度は願ったことがあると思う。
でも、実際完璧になったら……?
すること全部簡単にはなるのかもしれない、けれど何をしても完璧に出来てしまうのだから退屈してしまうとわたしは考える。
完璧、とはなにをどうすれば完璧とされるのか。答えは難しいと思う。
いくらお高いケーキ屋さんのケーキも全てが完璧なわけではない。いくら気を付けても果物が傷むことはある。それに作ったケーキ全てが均等になっているわけでもない。
人間が作っているのだから仕方のないことだと言ってしまえばそこまでなのかもしれない。
機械が作っていても多少の不良品や異物混入があったりする。
機械ですら完璧、を作り出せずどこかで失敗してしまうのに、もし自分が完璧な人間だったら、と考えること自体が烏滸がましいのじゃないのかなとか色々考えてしまう。
烏滸がましいと考えてしまうのは自分の中でそう思うだけであって、他者の思考や考え方を否定するつもりはもちろん無い。
誰もが憧れる完璧な人間、とは結局必ずしも皆がみんな満足するようなものではないのかもしれない、と考えている。
長々と書いてしまったけれど思考まとめのお時間おーしまい!
好奇心は猫をも殺す
好奇心は猫をも殺すという言葉皆さんはご存知ですか?
西洋のことわざである“Curiosity killed the cat.”を訳したもので、過度な好奇心は身を滅ぼす原因になるから、あまり興味本位で首を突っ込みすぎない方がいいという意味の言葉。 ←ピクシブ百科事典から参照。
ようは過度な好奇心は身を滅ぼす原因だから程々に、ってことですね(?)
ところで皆さんは好奇心、ってどのくらいありますか?
わたしは小さいころ今まで好奇心の塊で生きてきた、というような生物で、気になったものがあれば誰といようが関係なくその場へ走ってしまいます。
美味しそうなものを見つければ周りの目や一緒にいる相手のことなど考えず「わ!あれおいしそうー!!!」となってその場まで駆け寄って全てが終わってから後悔をします。
きっとそれが何かを壊してしまうボタンでも、後先なんて一切考えずこのボタン押したらどうなるんだろう!そんな気持ちだけで押してしまいます。
頭ではやってはいけないとわかっていてもやりたい、知らないものが気に入らない。わかるもの全て知りたい。見えるもの全て知りたい。
過度に人に執着してしまう原因もきっと好奇心です。
人には隠して起きたい感情や知られたくないことがあると思います、でもわたしはそれが知りたくてたまらない。
自分のことを知られたり詮索されることはすごく嫌いなのにそれが自分以外の人や物になると知りたくて仕方なくなる。
好奇心でいっぱいなわたしですが、自分には興味がないです。
なので自分の意見もあまりなく、周りに合わせてしまいます。
何したい?とか何食べたい?と言われると相手が何を食べたいのか何をしたいのか、そればかりが気になりあなたはどうしたいの?って結局丸投げにしてしまいます。相手のしたいことをしたほうが満たされる気もする。
知らないことを知りたくて、手を出してはいけないものに手を出したりしてしまいそうで時々自分が怖くなる。
知らないを知り尽くしたとき、きっと退屈でつまらなくなってしまうのだろうけど、勉強は嫌いだし全てを知ることなんて無理があるんだろうなって。
いつまで好奇心をもっていられるのか、いつまで子どものような真っ直ぐで素直な気持ちを表に出していけるのか、いつまでこの知りたいという好奇心を保つことができるのか、好奇心がモチベになっている今、大人になったとき好奇心なんてものあるのかな。
大人になったらきっと全てがなくなってしまうような気がする。
好奇心もそうだけど全てに関心がなくなりそうで怖い。死んだらどうなるんだろう、という気持ちだけで自殺をしてしまったり、そんなことはないように気を付けたい。
誰かと買い物に行ってるときくらいは一緒にいる相手の傍から離れないように心掛けたいものですね。
おしまい